ジョブズが愛したイッセイミヤケ。彼が一生涯着続けた理由とは?
Aventure編集部
世界に革命を起こし、多くのビジネスパーソンに影響を与えたスティーブ・ジョブズが、死ぬまで愛した一着をご存知でしょうか?彼のトレードマークともいえる「イッセイミヤケ」は、ジョブズの人生を語る上で外せない存在です。今回は、ジョブズが愛したイッセイミヤケについて紐解きます。
「イッセイミヤケ」とは
世界に羽ばたく、日本のファッションブランド「イッセイミヤケ」は、1970年にデザイナー・三宅一生氏が、三宅デザイン事務所を設立したことから歴史がスタートします。広島県出身の三宅一生。高校の近くにあった丹下健三設計の広島平和記念公園やイサム・ノグチ設計の平和大橋のデザインに感銘を受け、多摩美術大学図案化学科に入学します。
在学中には新人デザイナーのファッションコンテストでもある「装苑賞」で2年連続で佳作を受賞し、秘めていた才能を発揮。「服をどうやって作っていいのかわからない」と迷走しつつも生み出した三宅一生氏の洋服は大変奇抜で、ファッション業界を驚かせました。大学卒業後はパリに渡り、1966年には、フランスのファッションブランド「ギ・ラロッシュ」のアシスタントに着任します。
当時、フランスでは5月革命による学生抗議運動が行われていました。彼らの姿を目の当たりにしたのを契機に、衣類をファッションではなくデザインと捉える三宅一生氏の服作りがスタートします。そして事務所設立の翌年、ニューヨークで初めてのコレクションを発表。1973年には世界のデザイナーが憧れるパリコレクションで秋冬モデルを披露するなど、トップスピードでファッション業界をスターダムをを駆け抜けた日本を代表するブランドです。
一枚の布からの服作り
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「一枚の布からの服作り」は、ブランドの創業当初から三宅一生氏が、掲げているコンセプトです。オートクチュールからプレタポルテに移行する時代を目にした三宅氏。体にフィットしたヨーロッパの高級な服より、インドのサリーのように一枚の布を身にまとう方が普遍的な姿ではないかと疑問を抱きます。
そして東洋・西洋関係なく洋服を「体を覆う布」として捉え、生地をできるだけ捨てずに使うことを自らに課しました。布を織る1本の糸から研究を重ね、革新的な技術を生み出します。そんな想いから出来上がったイッセイミヤケのアイテムは、ゆとりの根源を探求した作品として世界中を驚かせました。
「イッセイミヤケ」関連ブランド
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若き頃から世界で活躍をするブランド「イッセイミヤケ」は、数々のシリーズブランドを立ち上げターゲットを明確化させます。
PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE(プリーツ・プリーズ・イッセイミヤケ)
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「一枚の布からの服作り」は、ブランドの創業当初から三宅一生氏が、掲げているコンセプトです。オートクチュールからプレタポルテに移行する時代を目にした三宅氏。体にフィットしたヨーロッパの高級な服より、インドのサリーのように一枚の布を身にまとう方が普遍的な姿ではないかと疑問を抱きます。
そして東洋・西洋関係なく洋服を「体を覆う布」として捉え、生地をできるだけ捨てずに使うことを自らに課しました。布を織る1本の糸から研究を重ね、革新的な技術を生み出します。そんな想いから出来上がったイッセイミヤケのアイテムは、ゆとりの根源を探求した作品として世界中を驚かせました。
BAO BAO ISSEY MIYAKE(バオバオ・イッセイミヤケ)
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PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE(プリーツ・プリーズ・イッセイミヤケ)より、2000年に発表された「BAO BAO ISSEY MIYAKE(バオバオ・イッセイミヤケ)」。2010年の秋冬コレクションよりオリジナルラインとしてスタートします。三角のピースを組み合わせたストラクチャーで、自由自在な形を無限に作り出すデザインが特徴的です。よく目を凝らしてみると正三角形だけではなく、二等辺三角形も存在するなど、バリエーション豊かなラインナップを展開しています。
IM MEN(アイム メン)
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2010年にスタートした「132 5. ISSEYMIYAKE(イチサンニーゴー イッセイ ミヤケ)」は、「再生・再創造」というコンセプトをもとに、サスティナブルなアイテムを発表しているブランドです。使用している再生ポリエステル生地は、折りたたみの数理に基づく3次元造形のパターンにより、何度も改良を重ねてきました。設立から10年、長きに渡るリサーチとともに積み上げた成果から、メンズブランド「IM MEN(アイム メン)」を生み出します。自由な発想と現実的なライフスタイルに溶け込み、機能性と実用性を兼ね揃えた革新的な日常着を手掛けています。
HOMME PLISSE ISSEY MIYAKE(オムプリッセイッセイミヤケ)
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「HOMME PLISSE ISSEY MIYAKE(オムプリッセイッセイミヤケ)」は、現代男性のために新しい日常着を提案するブランドとして設立されました。ISSEI MIYAKE(イッセイミヤケ)の持つプリーツ技術をもとに吸汗速乾素材を取り入れ、軽快で着心地の良いワードローブを制作しています。自然からインスピレーションを受けたカラーリングを展開し、手入れが簡単で動きやすく男性の心を擽るブランドの一つといえるでしょう。
HaaT(ハート)
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テキスタイルから発想するブランドとして2000年に始動した「HaaT(ハート)」。線維の持つ上質なテキスタイルや長年培われてきた技術を洋服に生かす心(HEAT)と、インド最高水準のクラフツマンシップを融合させた「HAATH(手の意味)」をコンセプトにブランド展開。トータルディレクターにはISSEI MIYAKEのテキスタイルディレクター皆川魔鬼子が着任し、手のぬくもりや心温まるアパレルアイテム作りをしています。
A-POC ABLE ISSEY MIYAKE(エイポックエイブルイッセイミヤケ)
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作り手と受け手とのコミュニケーションを広げ、未来を織りなしていくアパレルブランドとして1998年に立ち上げられたのは「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE(エイポックエイブルイッセイミヤケ)」です。着る人が参加する新しいデザインのあり方を提案するために、洋服作りのプロセスの変革を探求。ISSEI MIYAKEの基本概念にのっとり一枚の布の上に多彩なアイデアを手掛けています。
スティーブ・ジョブズ氏が着続けた一着
アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が新製品の発表時に毎回、黒のハイネックにデニムというスタイリッシュなカジュアルコーディネートで登場するのはご存知な方も多いはずです。どんな写真を見てもジョブズは同じ服を着ています。ニューバランスの名モデル996に、リーバイスの伝統を誇る501に足を通し、イッセイミヤケのハイネックというプレミアムな衣装は、彼を象徴するユニフォームと言ってもいいかもしれません。
アップルの創業者・スティーブジョブズ氏
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iPhoneの生みの親、スティーブ・ジョブズ氏。享年56歳で亡くなるもアップル社の時価総額を23363億ドル(約24兆円)と導き、歴史に残るテクノロジーを開発しました。小学生の頃から勤勉で、幼い頃から高い知性を発揮します。
彼がテクノロジーの世界に踏み込んだのは16歳の時でした。高校生の頃、アップルの前身でもあるウォズニアック氏と出会います。ブルーボックスと呼ばれる電話回線を不正利用して、無料で長距離電話が掛けられる機械を共同開発をし、販売していました。大儲けをした2人ですが、あるとき銃で脅され販売を中止します。
しかし、ブルーボックスの開発は、アップルコンピューターを生み出す大きなきっかけにもなったのです。商業的な可能性から、自宅ガレージに「アップル・コンピュータ・カンパニー(Apple Computer Company)」を設立。アップルコンピューターの製造へと踏み切ります。ストイックな一面もあるジョブズ氏は、開発チームや経営陣と確執ができてしまい、一時期はアップル社を離脱することもありました。しかし、最終的にはiPhone、iPadなど世界中で知る人がいないといわれるほどの革命的な科学技術を開発します。ガレージからスタートしたアップル社は、世界でもトップクラスの大企業へと名を轟かせました。
三宅一生とスティーブジョブズの出会い
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「戦後で働く人の作業服を用意する必要があったからではあるが、今や作業着は会社と従業員を繋ぐ絆である」そう述べたのはソニーの創業者・盛田昭夫氏でした。盛田氏と親交のあったジョブズ氏は「なぜソニーの社員はみな同じ格好なのか」と疑問を投げかけたのです。盛田氏の回答に感銘を受け、アップル社にもユニフォームを導入しようと動き始めます。
しかし、反対意見が多くジョブズ氏の願いは叶ぬものとなりました。そこで「自分だけでも!」と、黒いタートルネックにデニム、スニーカーという独自のスタイルを確立。ジョブズ氏が纏ったハイネックが、イッセイミヤケの製品だったのです。実は、当時のソニーのユニフォームはイッセイミヤケによって制作されたものでした。
黒のハイネックを100着注文
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ジョブズ氏の体をスタッフ総出で採寸し、両腕の長さから肩幅、袖をまくったときのバランスまで細かく計算された黒のハイネック。スペシャルオーダーともいえる一着を、イッセイミヤケが生み出しました。そんなイッセイミヤケに魅了されたジョブズ氏は、なんと100着もの黒のハイネックを注文。しかし、イッセイミヤケでは在庫がなく、酷似した素材で黒のハイネックを制作し、ジョブズ氏の元へと送ります。しかし製品へのこだわりが強いジョブズ氏は、素材の違いを見抜き、イッセイミヤケに全て返却してしまったのです。
イッセイミヤケを着続けた理由
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ファッショナブルな時代になったなかで、なおかつジョブズ氏はイッセイミヤケの洋服を着続けます。ハイネックとデニム、スニーカースタイルを貫き、いつしかトレードマークと言われるようになりました。しかし、ジョブズ氏の本音は「服を選ぶための時間を仕事に使いたい」とのことでした。クリエイティブで急速な変化を遂げるテクノロジーを扱うからこそ、仕事に没頭できるスタイルを確立したのかもしれません。
イッセイミヤケ黒ハイネックが復活
ジョブズ氏が着用していたイッセイミヤケの黒ハイネックは、特注で制作され「ジョブズT」と呼ばれていました。その後、既製品として市場に出回ったものの、2011年のジョブズの死後には、製造が中止されたのです。
弟子・高橋悠介氏によるデザイン
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黒のハイネックを再販するにあたってデザインに携わったのは、三宅氏の弟子、高橋悠介氏でした。建築家の祖父の影響を受け、幼い頃から建築家を夢見る少年は、インテリアやファッションに興味を持ちます。日本では「裏原系」と呼ばれるファッションが流行し、スタイリストなどアパレル関係にも関心を示していました。テキスタイルの勉強をしていた高橋氏。イッセイミヤケのデザインに魅了されます。「ISSEI MIYAKE MAN(イッセイミヤケメン)」のデザイナーとして携わり、ジョブズが誇る黒のハイネックを手掛けたのです。
2017年にマイナーチェンジ
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ジョブズが愛した黒のハイネックを再現したマイナーチェンジモデルが、2017年にリリースされました。ネック部分が少し高くなるデザインに変更され、細めのシルエットで肩線を高めに設計。素材はポリエステル60%、綿40%混紡を使い、ジョブズTの着心地を再現しています。ジョブズTと完全一致とはいかないものの、スタイリッシュさがアップデートされ、よりファッショナブルな一着に仕立てられました。
一着を愛し抜くジョブズのこだわりを体感
イッセイミヤケとの出会いから一着にこだわり続けたジョブズ氏。素材を見抜き互いがこだわり抜いたことで生まれた伝説のハイネックと言ってもいいかもしれません。世界トップレベルのテクノロジーを開発したジョブズ氏が愛したイッセイミヤケに、これからも注目したいものです。