鬼石真裕さんインタビュー 「自分を知り理想の自分を手に入れる習慣化のパワー」
鬼石真裕
仕事でのポジションが上がれば上がるほど優先順位は仕事になりがちで、自分がやりたいことは二の次になってしまうということは決して少なくありません。
鬼石真裕さんは、Webサイト開発、集客広告運用、メディアコンテンツマーケティング、システム開発などの事業を展開する会社「NoSHAPE」を立ち上げ、多くの企業を最適なカタチで支援しています。
日々多忙を極める鬼石さんですが、2年以上ずっと、朝の筋トレを欠かさずに続けています。それなのに「僕は自分に甘い」と自己評価するのは、過去に「ジム通いもダイエットも継続できなかったから」と言います。
第一線で活躍し続ける鬼石さんが、限られた時間の中、どのようにして筋トレを習慣化していったのか教えていただきました。
【プロフィール】
鬼石真裕
東京農工大学工学部卒業後、NTTデータに就職。その後、ビズリーチ創業メンバーとしてマーケティングに携わる。リクルートにてプロジェクトマネージャー、GREEにてプラットフォーム推進部長から新規事業責任者、KAIZEN platformでは執行役員、事業開発責任者、カスタマーサクセス責任者を経験。2016年、株式会社NoSHAPEを立ち上げ代表取締役に就任。人生のテーマとして旅行・不動産・教育の3つを上げ、人生の100のリストを作り、実行している。趣味は筋トレ、キックボクシング、キャンプ、ボディ・メンテナンス。
自宅の一室をジムに改装
――契約していたスポーツジムに、1年間で2回しか行かなかったと聞いて驚きました。
そうなんです。自分の意思だけで習慣化するのは難しいと痛感しました。ダイエットには過去に何回かチャレンジしたことがあり、2ヶ月で10kg落としてすぐに戻る、みたいなことを繰り返していました。代謝を上げないと痩せないことに気付き、筋肉を付けるために筋トレを習慣化しなければと本気で思いました。
過去のダイエットを通じて、僕は自分に甘い性格だと気付いていましたから、続けるために環境を整えることから始めたんです。まず、自宅の一室をジムにしました。それでもやる気が起こらず、トレーナーに家まで来てもらうことにしたんです。
問題は、トレーナーに来てもらう時間でした。夜は会食が入ることが考えられましたし、朝は子ども達を保育園へ送っていきます。色々な都合を考えて、平日の朝7時に自宅に来てもらうようお願いしました。時間を自由に使える早朝の時間帯なら、理由を作ってサボらないだろうと考えたんです。
――そうして毎朝筋トレをする生活が始まったんですね。
この仕組みが、自分にすごくハマったんです。前夜、遅くまで仕事していて疲れていても、朝が来ればトレーナーが家にやって来ます。目の前にいたら、断れないですよね。以前の僕なら、やれない理由を並べていたかもしれません。でも、自分の本質を理解して、続けられるように自分で考えた施策がフィットして、1年、気負わずに続けられたんです。習慣化とはこういうことかと悟りましたね。
有酸素運動をしたいと格闘技を選択
――1年間、毎日筋トレを続けて変化はありましたか?
ええ、ありました。1年かけて落ちた体重は6〜7kgくらい。特に見た目の変化は大きかったですね。筋肉がしっかりとついたので、2ヶ月で10kg落としたときよりもシュッと締まって見えました。デニムは3〜4インチもサイズダウンしたので、ほとんどの洋服を買い替えました。
――見た目以外に変化はありましたか?
最初は40kgの重さのものが持ち上がらなかったんです。当時の僕の体重は82kgくらい。40kgが持ち上がらないんだから、懸垂しても自分の体を持ち上げられなくて当然です。変化があったのは1年後です。80kgを持ち上げられるようになり、体重は70kg台になり。そしたら懸垂がするっとできたんです。
見た目にも大きな変化があるし、成長が目に見えてわかるし、筋トレするのがますます面白くなりました。自分の中でずっと作ることができなかった習慣化を実現できたのも、大きな収穫でした。
――キックボクシングを始めたのはその頃ですか?
そうです。筋トレを始めて1年経って、今度は体を絞るスピードを上げていくために有酸素運動を始めようと考えました。せっかくなら格闘技をやろうと、以前体験したことがあったキックボクシングを選びました。体をひねるのでおなか回りに効きそうですし、ストレス解消になりそうだと感じたからです。
自宅のすぐ近所にキックボクシング専門のジムがあったことも決め手でした。筋トレを通じて、伴走者がいれば僕は継続できることがわかったので、トレーナーとマンツーマンで練習できるのも魅力でした。
初めての試合で勝利をもぎ取る
――キックボクシングは、まずどんなことから始めたのでしょう?
最初はミット打ちとスパーリングからでした。ウォーミングアップとしてまず簡単なトレーニングをし、ミット打ち、最後に軽いスパーリングという流れで練習してました。
トレーナーのテクニックで感心したのは、ミットの音をすごく気持ちよく鳴らしてくれること。すごくいいパンチを打っているような錯覚に陥るほど「バシッバシッ」といい音がして、すごく気持ちいいんです。声かけもすごく上手で自然とモチベーションが上がりますし、最初からとにかく面白かったです。パンチのときに肩周りや背中をよく動かすからか、ひどい肩こりが解消してきたのもうれしかったです。
――ミット打ちやスパーリングの相手はいつも同じトレーナーなんですか?
スパーリングに、現役のプロ選手が参加してくれることもあります。トレーナーに「現役の選手となら強めにやってもいいよ」と言われ、強めにパンチやキックを繰り出してました。すると不思議なもので、だんだん本気でやりたくなってくるんです。
ちょうどその頃、トレーナーから「試合に出ないか」と打診され、迷わず出場を決めました。その日から、ヘッドギアとマウスピースを身につけ、フルコンタクトでの練習を始めました。
初めての対戦相手は、キャリアこそ同じくらいでしたが、僕より7〜8歳ほど年下でした。試合中は頭の中が真っ白で、試合の内容はハッキリと覚えていません。練習でやったことは1mmもできてなかったと思います。でも、若いヤツには負けられん!倒れるもんか!みたいな気持ちはあって、気迫だけで試合をやり遂げました。
――人生で初めての試合で勝利を収めました。
試合に勝てたことはもちろんうれしかったですが、仕事以外で「負けたくない」という感情を抱く機会はほぼなかったので、とても新鮮でした。試合中は想定外のことがたくさん起こりますし、できないことだらけ。40歳にもなってこんなにできないことがあるんだ!悔しい!勝ちたい!と、仕事以外で思えたのは、すごく貴重な経験でした。
何事もまずはやってみる、始めなければ続かない
――試合に出場するにあたり、減量もなさったとか。
数キロ落とすだけですが、試合前に減量しました。最近2度目の試合に出たばかりで、今の体重は61〜62kg、体脂肪率が6%台です。
バスケの強豪校に通ってた高校時代は、毎日、10km走ってからバスケの練習をするという生活をしていました。当時の体重が61〜62kg、体脂肪率が5%程度でしたから、今の僕は、高校生だった頃の自分に近いパフォーマンスを維持しているんですよ。
――減量では食事制限をしたのでしょうか。
筋トレを見てもらっていたトレーナーに、食事の取り方を教えてもらっていたのが役立ちました。筋トレを始めた頃は、朝食をプロテインスムージーに置き換えていましたが、今は食べ過ぎた翌日の朝食をにプロテインに置き換える程度です。あとは好きな炭酸飲料を少しガマンするだけで、無理のある食事制限はしていません。
今の自分にとって、とても重要だと思っているのが、何をどれくらい食べたらどのくらい体重に影響があるのか、感覚的に理解できるようになったことです。
お腹を触れば今の体重をだいたい把握できますし、夕食時、これを食べたらこれくらい太るだろうと思いながら翌朝体重計に乗ると、想像していた体重とほぼ誤差がありません。おかげで自己コントロールがしやすく、体重を測らなくても太ったか太ってないか、食事を減らすならどのくらい減らせば良いのかがわかるようになりました。以前の僕がいかに食べ過ぎていたか、よくわかりましたね。
――筋トレやキックボクシングのように、新しいことに挑戦するモチベーションはどこから湧いているのでしょうか。
昔から公私ともに新しいことに挑戦し続けてきましたし、これからもそうありたいと考えています。特に独立してからは、自分の資本で仕事をするのだから自分がペルソナにあたる事業をやろうと取り組んでいます。僕がこれまでやったことがないオウンドメディア事業やアパレル事業もそう。直感的に「これをやりたい」と思いついたことで、自分の頭の中にずっと残っていることをやらないのは、大きなリスクだと考えています。
だからまずはやってみる。始めないことには、続けることもできません。今回は、自分の弱さを知り、筋トレや練習を続けられるような仕組みを作り、プロであるトレーナーに支えられて、筋トレやキックボクシングを習慣化できたのだと思います。
――習慣化に成功し、セルフコントロールできるようになるにはどうすれば?
自分という人間を理解して、続けられる方法を見つけることです。僕にとっての方法は、誰かとやることと、自分がやれる時間を設定しルーティンにすることでした。プロのトレーナーが伴走してくれたので、続けられています。その結果、やりたいことをとことんやってみるという自分のスタイルに辿りついたように思います。
振り返れば、仕事でも同じことが言えますね。自分の中でトライ&エラーを繰り返し、そのたびに「なぜできなかったのか」「どうしたらできるか」考え抜いてきたからこそ、今の自分があるように思います。