スティーリー・ダンの名盤『Aja(エイジャ)』。理想の音を求めて
Aventure編集部
1977年に発表されたスティーリー・ダンの第6作目のアルバム『Aja』は、同バンドの最高傑作と名高い名作です。1978年のグラミー賞最優秀録音賞、ノン・クラシカル部門の受賞、プラチナアルバムの受賞、さらに歴史的に意義のある質の高い名盤のみが果たすことができるグラミー殿堂入りなど、その輝かしい受賞歴からも最高傑作だとわかります。スティーリー・ダンの珠玉のアルバムの中でも『Aja』の評価が特に高いのは、音楽性のみならず、一流のスタジオミュージシャンの起用や制作へのこだわりなど多くの要素があります。この記事ではスティーリー・ダン『Aja』を深掘りし、最高傑作と呼ばれる理由をご紹介します。
スティーリー・ダンとはどういうバンドなのか
『Aja』が生まれた背景を紹介するには、スティーリー・ダンがどういうバンドなのか知る必要があります。スティ―リー・ダンは、1967年ニューヨークのバード・カレッジで知り合ったドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの2人が中心となり、ジェフ・バクスターなど3名が加わり結成されました。
バンド結成前、フェイゲンとベッカーはオリジナル曲をニューヨークの音楽出版社に売り込みますが、ジャズとビート文学に影響を受けていた彼らの曲はほとんど売れることがありませんでした。しかし、のちにプロデューサーとなるゲイリー・カッツは2人のソングライターとしての才能を見いだしていました。
1971年、カッツの紹介でABC/ダンヒルレコードの専属ソングライターとしての活動を始めるフェイゲンとベッカー。ところが彼らの楽曲を受け入れ歌ってくれる歌手は少なく、結果的に自分たちの音楽を自分たちで表現する道を選びます。こうしてスティーリー・ダンというバンドが生まれたのです。
バンドの方向性を決定付けたスタジオワーク
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1972年デビュー作となる『Can’t Buy A Thrill』をリリース。全米6位となった『Do It Again』のヒットを生んだあと、『Countdown to Ecstacy』『Pretzel Logic』と、立て続けにアルバムをリリースし、全米4位となった『Rikki Don’t Lose That Number』をリリースします。
この頃には、オリジナルメンバーでボーカルのデヴィッド・パーマーの脱退や、リック・デリンジャーやチャック・レイニーといったスタジオミュージシャンのアルバム参加があり、バンドとしての成功もあってか、自らの音楽性へのこだわりが表れてきます。
1975年発表の『Katy Lied』そして、翌年『The Royal Scam』リリースと、精力的にアルバムを発表するスティーリー・ダン。音楽性はアルバム発表を増すごとに研ぎ澄まされ、都会的でジャジーなニュアンスの曲を中心に、レゲエなどラテンミュージックを取り入れた多様な音楽性へと変わりゆく中、メンバーの変遷も大きく変わります。
バンドのギタリスト、ジェフ・バクスターがドゥービー・ブラザーズへ加入するために脱退。そしてジェフ・ポーカロがドラムとして、バッキングボーカルとしてマイケル・マクドナルドが加入します。さらに多くの著名なスタジオミュージシャンを招きながらフェイゲン&ベッカー体制の確立が進み、表現性にこだわったスタジオワークへと移行していきます。
6作目のアルバム『Aja』、2人の理想の昇華
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スティーリー・ダンは1977年9月、6作目となるアルバム『Aja』を発表します。このときには、最後のオリジナルメンバーだったダニー・ダイアスが脱退し、ドラムのジェフ・ポーカロはTOTOの結成へ、そしてマイケル・マクドナルドはドゥービー・ブラザーズに正式加入し、スティーリー・ダンを去ります。しかしこうした変容は、フェイゲン&ベッカーが理想としていた音楽を追求できる環境ができたとも言えるかもしれません。
こだわりの制作現場
オリジナルメンバーが去ったあとには、最高峰のスタジオミュージシャンを招いて活動します。ラリー・カールトン、リー・リトナー、ウェイン・ショーター、スティーヴ・ガッド、ジョー・サンプル、バーナード・パーディー。その他、超一流と言われるミュージシャンを揃え、フェイゲン&ベッカーの目指す音楽性を追求していきました。
『Aja』の制作にあたって、音にこだわる2人の逸話が残されています。『Peg』の曲中にジェイ・グレイドンによるギターソロが展開されますが、ジェイ・グレイドンに決定するまで、ラリー・カールトンやリック・デリンジャー等、7人もの名だたるギタリストがソロパートにトライしています。しかし誰が弾いても、フェイゲン&ベッカーの2人は全く納得しなかったそうです。最後にジェイ・グレイドンが弾いてなんとかOKをもらえたものの、OKがもらえるまで6時間もプレイさせられたということです。
豪華なミュージシャンとともに、多大な時間をかけて出来上がったのが、フェイゲン&ベッカーの理想の昇華とも言えるアルバム『Aja』なのです。
『Aja』とアジアの関係性
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漆黒に浮かぶ黒髪の女性の横顔。印象的な『Aja』のアルバムジャケットのモデルは、山口小夜子です。世界で活躍した日本人モデルとして大変有名な方で、カメラマンにも日本人の藤井秀樹が起用されました。神秘的な山口の表情と着物の袖口・襟の紅白だけが浮かび上がるデザインは、日本の美しさとミステリアスさを感じます。
なお、『Aja』というアルバム名は、ドナルド・フェイゲンのハイスクール時代の友人と結婚した韓国人女性の名前から取ったそうです。またアルバムタイトル曲『Aja』の歌詞には「Chinese music」という語句が出てきます。タイトル曲『Aja』は、アジア女性の名前とも取れますし、発音から一般的なアジアを指しているかもしれません。
中国音楽という歌詞、Ajaという韓国人女性の名前を由縁としたアルバムタイトル、そしてジャケットに使用されている山口小夜子。「アジアのどこの国」と特定したようには感じられないアイコンの起用です。フェイゲン&ベッカーは、まだ深く知りえないアジアへの思いを様々なアイコンを起用してアルバムに込めたのかもしれません。
収録作品と参加ミュージシャン
『Aja』は全7曲で構成されています。それぞれの曲のサウンドイメージと参加ミュージシャンをご紹介します。
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Black Cow
スローテンポながら明るい曲調のアルバム第1曲目。タイトル名の『Black Cow』は、アメリカで昔から親しまれているアルコールを含まない炭酸飲料、ルートビアを指していると言われています。ギターはラリー・カールトン、テナーサックスはトム・スコットが担当しました。
Aja
約8分という長大なタイトル曲は、ゆるやかでエキゾチックなニュアンスのオープニングから転調を経て、テナーサックスとドラムスの掛け合い、力強いリズムでエンディングへと向かう技術と技術の応酬が続きます。
テナーサックスはウェイン・ショーター、ドラムはスティーヴ・ガッド、エレクトリックピアノはジョー・サンプルが担当しました。ベッカーはスティーヴ・ガッドに「猛烈なプレイをしてくれ」と頼んだそうです。
Deacon Blues
ディーコン・ブルーのバンド名の由来ともなった曲です。内容はフェイゲン&ベッカーの青年期の夢が果たせなかった自伝的描写とも言われています。ギターはラリー・カールトン、リー・リトナーが担当しています。
Peg
軽快なロック調の『Peg』は同アルバムのファーストシングルで、全米11位となりました。前述しましたが、ギターソロパートを決めるのに7人の一流ミュージシャンのオーディションを経て、さらに6時間プレイさせてジェイ・グレイドンに決まったというエピソードもあります。バックボーカルに、マイケル・マクドナルドが参加しました。
Home at Last
バーナード・パーディのドラムが印象的にリズムを刻む、短調のリズム&ブルース。海に出る男の安らぐ家は船の上という意味合いの歌詞に、ウォルター・ベッカーのソロギターが悲哀を奏でます。
I Got the News
ピアノとドラムがアップテンポのキャッチーな一曲に仕上げています。こちらもバックボーカルにマイケル・マクドナルド、ソロギターはウォルター・ベッカーとラリー・カールトンが担当しています。
Josie
最高傑作と名高い『Aja』の最後の曲は短調ながらメロディアスなロックと、不釣り合いとも言える退廃的な歌詞とのバランスが絶妙です。ギターはラリー・カールトン、ソロギターはウォルター・ベッカー。バックボーカルには、ティム・シュミットが参加しています。
スティーリー・ダン最高傑作『Aja』を味わう
スティーリー・ダンの『Aja』は、1977年に発表され、アルバムチャート全米3位、グラミー賞やバンド初のプラチナアルバムを受賞するなど、多くの輝かしい実績でバンド最高傑作と名高いアルバムです。ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーが作詞作曲した一つひとつのイメージを理想の形に昇華するため、多くの一流ミュージシャンの技術を集め、洗練された音楽を世に放ちました。
ウォルター・ベッカーは残念ながら2017年にこの世を去りましたが、ドナルド・フェイゲンはスティーリー・ダンの曲をライブで披露し、それをライブ音源としてリリースするなど、積極的に活動しています。70年代後半に2人が追求した理想の音は、色褪せるどころかさらに輝きを増しています。この機会に珠玉の名曲を体験してみてはいかがでしょうか。