ピンク・フロイド『原子心母』はプログレッシブ・ロックの金字塔!
Aventure編集部
日本において「プログレッシブ・ロックの代表的存在」と言われ、今も根強い人気を誇るロックバンド、ピンク・フロイド。「プログレッシブ」とは「先進的な」という意味であり、当時から非常に革新的で難解な音楽ジャンルでした。ピンク・フロイドの5thアルバム『原子心母』は、オーケストラとロックを融合させた壮大な世界観が魅力です。バンドに大きな成功をもたらし、名盤として親しまれています。ピンク・フロイドの楽曲に触れる上で、必聴のアルバムと言っても良いでしょう。この記事ではピンク・フロイドの傑作である『原子心母』について、その聴きどころからアルバム制作のきっかけ、牛を写したジャケットの制作秘話まで紹介します。
『原子心母』というアルバム
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『原子心母』は、1970年10月にピンク・フロイドが発表した5枚目のアルバムです。原題は『Atom Heart Mother』であり、『原子心母』は単語をそのまま和訳して作られた造語と言えます。
『Atom Heart Mother』とは、当時の新聞に載っていた「Atom Heart Mother Named」という記事タイトルから取ったものです。内容は56歳の妊婦が、原子力で動く心臓ペースメーカーの移植に成功したというニュースでした。
『原子心母』はイギリスの前衛音楽家ロン・ギーシンとともに制作し、クラシックの要素をふんだんに取り入れた実験音楽の集大成となるアルバムです。ピンク・フロイドが後にプログレッシブ・ロックという難解な音楽ジャンルに傾倒していくきっかけとなり、新しい音楽性を確立させた作品と言えるでしょう。
当時の売れ行き
『原子心母』は全英チャートで第1位、全米55位を記録し、ピンク・フロイドのキャリア形成に大きく貢献しました。批評家たちからも高い評価を受け、プログレッシブ・ロックの名盤とされています。
オリコンチャートでは15位を記録しており、日本国内でも人気の作品です。当時、国内版の帯には「ピンク・フロイドの道はプロブレッシヴ・ロックへの道なり!」と記されていました。諸説ありますが、日本人がプログレッシブ・ロックという言葉に触れた最初のきっかけと言われています。
しかし、当のメンバーはこのアルバムをあまり気に入っていなかったようです。実際、ベースボーカルのロジャー・ウォーターズは「平凡で駄作、オレの嫌いなアルバムの一つだ」とこき下ろしています。
牛のジャケット秘話
『原子心母』のジャケットは、背を向けた一頭の牛がこちらをじっと見つめているというシュールな構図です。ピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンのCDジャケットを手がけた天才集団ヒプノシスによってデザインされました。
ピンク・フロイドらしさに加えてよりインパクトのあるデザインを求めたヒプノシスは、牛をコンセプトにすると決めます。さっそくドライブに出かけた先で見つけた牧場で撮影をおこないました。モデルに選ばれたのは、牧場で飼われていた牛のルルベル3世でした。
できあがったデザインを見たレコード会社の反応は「こんなデザイン、売れるわけがない」と否定的だったといいます。当時はジャケットを見て購入する「ジャケ買い」が当たり前の時代で、ジャケットが顧客の興味をそそるものでなければ売れないと判断せざるを得なかったのです。
だからこそジャケットのデザインには特にこだわる必要がありましたが、その不安は杞憂に終わりました。『原子心母』は発売するや大ヒットを記録し、ピンク・フロイドの名を大きく広める起爆剤となります。
ただ牛がいるだけのジャケットは、バンド名はおろかアルバム名すらも書かれておらず、もはやどういったジャンルのレコードかまったく分からないデザインでした。しかしこの意味不明さが瞬く間に話題になり、リスナーを強く惹きつけたのです。
なお、大ヒット後にルルベル3世の出演料1,000ポンド(約13万円)を飼い主から請求されましたが、マネージャーが要望を一蹴したという逸話があります。
ピンク・フロイドとは?
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ピンク・フロイドはイングランド出身の4人組ロックバンドです。バンド名は、ブルースミュージシャンであるピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルの2人の名前から付けられました。
結成当初は主にサイケデリック・ロックを得意としていましたが、徐々に実験音楽へと移行していきました。やがてプログレッシブ・ロックの礎を築いたバンドの一つとして知られるようになります。
全作品の総売上は2億枚以上を誇り、グラミー賞の受賞やロックの殿堂入りなど、数々の伝説を残したモンスターバンドです。
メンバー紹介
『原子心母』に携わっていたのはデヴィッド・ギルモアを始め、ニック・メイスン、リチャード・ライト、ロジャー・ウォーターズの4人ですが、この記事ではピンク・フロイドを語る上では避けて通れない人物、シド・バレット(Gt/Vo)を加えた5人について紹介します。
デヴィッド・ギルモア(Gt/Vo)
ギターボーカルのデヴィッド・ギルモアは、ブルージーで哀愁漂う「泣きのギター」を代名詞とする凄腕のギタリストです。優れたボーカリストとしても有名で、ピンク・フロイドの初期メンバーだったシドが脱退するタイミングで加入しました。
『原子心母』に収録されている楽曲『デブでよろよろの太陽』など、作曲にも関わっています。リーダーのロジャーが脱退した後は代わってバンドを牽引し、ピンク・フロイドの歴史に大きく貢献しました。
ピンク・フロイドの解散後もソロミュージシャンとして精力的に活動中です。ビートルズのポール・マッカートニーやB.B.キングなど、数多くの大物ミュージシャンとのセッションをこなした経歴があります。
ニック・メイスン(Dr)
ピンク・フロイドのオリジナルメンバーで、ドラムを担当していました。非常に激しいプレイが武器で、ライブ中にスティックを折ってしまったり、手から離れて飛んでいったりする映像が残っています。
建築の専門学校に通っていた頃に出会ったロジャー、リチャードとともにバンドを結成します。ピンク・フロイドが活動停止するまですべての楽曲に携わっていた唯一のメンバーで、バンドの確執が起きた際も中立的な立場を守り続けました。
それぞれのメンバーと良好な関係を築いており、まさにバンド内の架け橋として重要な役割をこなしていたと言えるでしょう。
現在はソロ活動をしながら、自身のバンドであるニック・メイスンズ・ソーサーフル・オブ・シークレッツとともにピンク・フロイド初期の曲を演奏するなど、現役で活躍しています。
リチャード・ライト(Key)
ニックやロジャーとともにピンク・フロイドの母体を作ったオリジナルメンバーで、キーボードを担当していた人物です。初期はシドとともにバンドを牽引する立場でしたが、シドが脱退してロジャーが新しいリーダーになると、段々影に隠れるようになっていきます。
やがてバンドの主導権を握っていたロジャーと対立するようになり、1979年発売のアルバム『ザ・ウォール』の制作中にロジャーからクビを宣告されました。その後のツアーでサポートメンバーとして参加したのち、正式に脱退します。
その数年後、ロジャーが脱退した後のピンク・フロイドに復帰し、ソロミュージシャンとしても活動を続けました。2008年、癌の闘病中に65歳で亡くなります。
ピンク・フロイド時代、リチャードは他のメンバーに比べて目立つ存在ではありませんでした。しかし、シンセサイザーやメロトロン(磁器テープを再生して音声を奏でる鍵盤楽器)を駆使してバンドの世界観を支えた彼の功績は偉大です。
ロジャー・ウォーターズ(Vo/Ba)
ボーカルとベースを担当しているロジャー・ウォーターズは作詞作曲も担当しており、ピンク・フロイドの実質的なリーダーです。
建築の専門学校でニックとリチャードに出会い、さらに友人3人を加えた6人組のバンド、シグマ6を結成します。後述するシド・バレットとは幼なじみの関係です。
フロントマンのシドが脱退したため、シドの後釜として多大なプレッシャーをかけられるようになります。最初はシドの世界観に寄せた作詞と作曲に専念せざるを得ませんでしたが、時が経つにつれて自身の才能を開花させました。
やがてバンド全体を主導するようになっていきますが、バンドに対する思いとこだわりが強すぎるがゆえに周囲と衝突することも多かったと言われています。実際、意見が対立したリチャードをクビにしたり、レコーディング中にデヴィッドと大ゲンカしたりと、トラブルが絶えなかったようです。
やがてバンドを脱退し、その後もメンバーと裁判沙汰になるなど、確執がしばらくの間続くことになります。しかし、ピンク・フロイドの世界的成功が彼の指揮によって叶ったことについては、紛れもない事実と言えるでしょう。
シド・バレット(Gt/Vo)
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本作には参加していませんが、シド・バレットはピンク・フロイドのサイケデリック・ロック時代を率いていた初期メンバーです。ボーカルだけでなくギターや作詞、作曲もすべて担当しており、あり余る才能と美しい容貌で人気を博していました。
しかし、薬物の大量摂取により精神を患い、音楽活動をまともに続けられなくなってしまいます。メンバーたちはシドを表舞台に出さない代わりに作曲に専念させ、一緒に活動を続ける方法を模索しましたが、その夢は叶いませんでした。
シドの脱退後、残ったメンバーは彼の面影に苦しめられることになります。最初こそ歌詞や曲調、歌い方までシドに寄せて作らざるを得ない始末でした。しかし、時が経つにつれてバンドは独り立ちし、後任のロジャー主導の元で新しいジャンルへ移行していくことになります。
ピンク・フロイドはシドがいたときのようなサイケデリック・ロックの風潮から徐々に離れていきますが、彼がいつまでもメンバーたちにとってなくてはならない存在であることは決して変わりませんでした。ピンク・フロイドは、シド・バレットなしでは語れないのです。
プログレッシブ・ロックとは?
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プログレッシブとは「先進的な」という意味で、1960年代後半にイギリスで発達した音楽ジャンルです。プログレッシブ・ロックのバンドというと、ピンク・フロイドの他にもキング・クリムゾンやイエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、ジェネシスなどが挙げられます。
プログレッシブ・ロックとは何かを一言で定義づけるのは難しいのですが、一般的には「1曲が長くて難解な曲が多い」と感じているリスナーが多いでしょう。他にも、ジャズやクラシックなど様々なジャンルの音楽を取り入れていることや、アルバム全体を一つの作品として昇華させていることが特徴として挙げられます。
1970年代前半に絶頂期を迎えたプログレッシブ・ロックは、1970年代後半には徐々に衰退していきました。しかし当時のロック界に多大なる衝撃を与え、現在も多くのファンたちの心を熱くさせています。
収録曲の聴きどころ
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原子心母(Atom Heart Mother)
バックにオーケストラとコーラス隊を従え、車のエンジン音や馬のいななきなど様々な音が使われているインストゥルメンタルの楽曲です。桑田佳祐のラジオ番組『桑田佳祐の優しい夜遊び』でオープニングテーマとしても使われていたことでも知られています。
演奏時間は23分以上もあり、LP盤のA面がすべてこの曲に使われていました。曲は6つのパートに分かれており、それぞれ以下のようなタイトルがつけられています。
- 父の叫び
- ミルクたっぷりの乳房
- マザー・フォア
- むかつくばかりのこやし
- 喉に気をつけて
- 再現
ピンク・フロイドが当時模索していた実験音楽の要素が存分に詰まっており、ロン・ギーシンとの共作により、新たなイメージを見事に具現化した作品に仕上がったのです。
もしも(if)
優しいタッチのキーボードと、伸びの良いギターの響きが心地よい曲です。作詞作曲はロジャーが担当しています。
「もし僕が〜」という歌詞が何度も続き、何とも言えない虚しさが漂う作品です。しかし聴き終わると、何とも穏やかな気持ちになれる不思議な曲でもあります。
サマー’68(Summer’68)
リチャードが作詞作曲し、キーボードの様々な音を重ねることで、厚みのあるサウンドに仕上がったナンバー。
最初ののどかな印象から急にギターの鋭い音が入り、そこから管楽器を加えた堂々たる雰囲気に切り替わります。クラシックの荘厳さにロックの要素を取り入れることで、より重厚で壮大な趣を感じ取れるでしょう。
デブでよろよろの太陽(Fat Old Sun)
アコースティックギターでスタートする『デブでよろよろの太陽』は、デヴィッドが作詞作曲の両方をおこなっている珍しい曲です。曲を作る機会はそれなりにあったのですが、作詞を担当することはほとんどありませんでした。
この曲では優しい歌声と、デヴィッドのギタープレイを存分に楽しめます。なお、後のデヴィッドのソロ活動においてもこのテイストは生かされており、彼らしい作風を築く貴重な経験になった作品であると言えます。
アランのサイケデリック・ブレックファスト( Alan’s Psychedelic Breakfast)
『アランのサイケデリック・ブレックファスト』は、最初に水がポタポタと落ちる音から始まり、ガタガタと雑多な音が鳴り響きます。1分ほど経つとメロディーが流れ始めますが、マッチを擦る音や水を汲む音、食器のぶつかる音などがバックで流れ続ける不思議な曲です。
アランとは、当時ピンク・フロイドのロードマネージャーだったアラン・スタイルス、もしくは音楽エンジニアのアラン・パーソンズであるという2つの説があります。
曲の構成は、
- ライズ・アンド・シャイン
- サニー・サイド・ステップ
- モーニング・グローリー
の3パートで、題名の通り朝食を楽しんでいるかのようなのどかで明るい曲です。朝日を浴びながら聴くと、スッキリとした爽快な気持ちにさせてくれるでしょう。
ピンク・フロイドの世界に触れるならまずは『原子心母』がおすすめ
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『原子心母』とは、1960年代に発達した音楽ジャンル、プログレッシブ・ロックの筆頭と名高いピンク・フロイドの5thアルバムです。イギリスだけでなくアメリカや日本でも人気を博し、バンドを成功に導きました。
インパクトのある牛のジャケット、そして実験的要素を多く取り入れた壮大な世界観はロック界に衝撃をもたらし、新たなジャンルを切り開いたのです。そんな『原子心母』ですが、実は再び注目されています。
2021年、ピンク・フロイドが初来日公演をおこなった野外フェスティバルである箱根アフロディーテの50周年を記念し、『原子心母(箱根アフロディーテ50周年記念盤)』が発売されました。長年発掘されていなかった幻のフィルムをデジタル化し、美しくよみがえらせた映像つきの豪華セットです。
革新的で奥深いプログレッシブ・ロックを、この機会にぜひ聴いてみましょう。